2025年に聴いた曲の話

 

今年(去年)たくさん聴いた曲の話。リリース時期を問わず、俺がたくさん聴いたかどうかが基準になっています。

 

第一音源集 / 安島夕貴 (2025)

今年いちばん聴いたのこれでした。

歌謡的なメロディに対してアルバムを通して漂う不穏な空気感とボーカルの上擦った声のミスマッチが良い。初夏頃のリリースだったのだけれど、真夏の茹だるような不快感にガッチリハマっていて今年の夏はこればっか聴いてた。

 

鯨 / 有田咲花 (2025)

チープな電子音を盛り込んだ宅録の曲がかなり好みなんだけど、なんて探せばいいのかよくわかっていない。

個人的には堀込高樹とか高橋徹也とかがそれにあたるのだが、わりと普遍的な感覚や情景を歌ってるんだけど「そんなんわざわざ歌詞にせんでも」って思うようなヒトの微妙に嫌な部分を詞に起こしてくれる人が好きで、彼女の歌詞にも所々そのきらいがある。ゆえに好きです。

 

SUN / SACOYANS (2024)

SNSApple Musicのサジェスト、ラジオで流れた曲をとりあえずでライブラリにぶっ込んでおける時代ゆえに、いつ頃に何きっかけで入れたのかわからんアルバムが跋扈している。今ならU2が勝手にSongs of Innocenceをライブラリに追加しても気づけないと思う。

そんな風にして前作「Gasoline Rainbow」がいつの間にかライブラリに入っていて以来もう無限に聴いていたのだけど去年新譜出てたの知らなかった。カス。

歌詞と声がここ最近のバンドだとトップレベルで好きです。

 

東京 飛行 / Original Love (2008)

ぶっちゃけベストの曲ぐらいしかまともに知らなんだったけど、Apple Musicのおすすめに上がってきたのをふと聴いたらかなり良かった。

全体通してかなり乾いた魅力たっぷりな渋いロックながら#7~#8ら辺はやけに壮大な盛り上がりを見せる。良いアルバムですね。

何気に今年のアラバキで初めて彼らの演奏を聴いた。もちろん本作の曲なんかやらなかったけど、流石に生ロバーは圧巻でした。

 

らんど / ZAZEN BOYS (2024)

ポテサラと本能寺の人だという認識しかなかったが、今年のアラバキで観たらベストアクトかってくらいに良く。特に琴線に触れた曲が軒並み本作のものだったのでアラバキ後はこればかりを聴いていた。全体的にファンクでポップでかなり良い。

 

緑の法則 / 鈴木さえ子 (1985)

愛読書の漫画『音盤紀行』内で名前が出ていたのを機に聴いた。おもちゃ箱ひっくり返したみたいな軽妙なポップさがかなり好み。聴けば躁になれる特効薬的なアルバムです。

 

大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / 大滝詠一 (2023)

ポンキッキーズで聴いた市川実和子の『ポップスター』を聴きたくなってApple Musicを探してみたが見つからず、代わりに大滝詠一のセルフカバー版が入っているこのアルバムを見つけた。いや作曲お前だったんかい。そんな提供曲のセルフカバーを中心にコミックソングを寄せ集めた愉快な企画盤、これも特効薬ですね。

あの娘にご用心の別verもなかなかよい。

 

NEWGAME / SCIKA (2025)

「Inverted Angel」というPCゲームがあり、それが個人的にはここ数年でいちばん夢中になるくらい面白かったのだけれど、本作の制作者は楽曲制作もしており、ゲームきっかけでライブラリに入れてみたのがこのEPだった。

全曲が1分台の短さで6曲入りながら10分もかからず聴き通せてしまうお手軽さがある。宗教上の理由から、角の整えられた曲とか再生時間の短いポップスとかあんまり進んでは聴かないんだけど聴いたら聴いたで良いし周回性能も高いので結構ヘビロテした。

 

あの花はどこに咲いている / 山中さわお (2025)

解散きっかけでそのバンドを聴き散らした時に二段階くらい増しで好きになることを不謹慎ながら二階級特進と呼んでいる。ただ既に元から大将レベルで好きなバンドが解散してしまったときにはどうなってしまうんだ。

そんな気持ちで2月3月は泣きながらピロウズばかりを聴いて、ギターソロと自分の嗚咽の区別がつかない状態になっていたのだけれど、そんな中で解散後初のソロアルバムとしてリリースされたのが本作。良くも悪くも過去作の思い出補正とか一番好きなアーティストの新譜補正とか"山中さわお"補正とか色々混じってしまうので簡潔な感想を語るのが非常に難しい。難しいが、そういう聴かれ方をすることを山中さわおは嫌うだろうなと思う。

 

大衆に告ぐ / 自爆 (2025)

山中さわおピロウズの解散後に初めてインタビューを受けた記事の載った音楽雑誌に特集が組まれていて存在を知った。そのアナーキーな見た目と名前に興味を惹かれて聴いてみたが、80年代みたいなサウンドルースターズチバユウスケみたいなしゃがれ声をして銀杏boyzみたいなことを歌ってるめちゃくちゃな人たちで非常に良かった。そんなものが令和日本に存在してくれるだけで嬉しいよ俺は。

 

ここへきてはじめて(青盤) / すきすきスウィッチ (2013)

『生まれてこの方ずっと生きてきたけど こんなに歳をとったのははじめて』

すげー歌詞だと思いました。

 

勇気 / betcover!! (2025)

これまでも好き好き言っていながら、実はライブで観たのは8年ぐらい前の1stアルバムすら出てない頃の一回だけで、この度のツアーでようやく観に行った。音源で聴くと少し重たいぐらいの曲の数々はライブでこそまさに真価を発揮していて、技巧と動物的な熱量が両立したパフォーマンスに圧倒された。ほんまありがとう。

 

Gran Turismo / カーディガンズ (1998)

Oasisを筆頭に今年は有名どころの来日公演が多く、話題としての盛り上がりを見せる中で、来日公演処女だった俺は誰が来たら観に行くだろうなみたいなことを考えてみたとき「カーディガンズ来たら行くかもな」などと思っていたら本当に来たので行った。

初期3作のどポップな作風に対して本作以降のアルバムはだいぶダーク寄りになっており、正直全然聴いていなかったのを予習がてら聴き込んでいたらちゃんと好きになった。

何よりライブが筆舌に尽くしがたかったです。これまで生で聴いてきた音楽の中で一番歌上手かったかも。

 

PROVIDING THE ATMOSPHERE / Cloudberry Jam (1996)

カーディガンズの来日公演の抱き合わせで来てくれたスウェーデンの老舗バンド。予習として何枚か聴いてみたらかなり良いバンドだった。自分の辞書にある範囲で安直に当てはめると、目黒将司的な気持ちレトロ感強いポップス。

 

Go!Go!QUINCAMPOIX / QUINCAMPOIX (2024)

ギャルみたいな見た目からローファイポップなロックンロールをやってくれる、ウンジャマラミーを実写化したみたいなバンド。そんなものが令和日本に存在してくれるだけで嬉しいよ俺は。

 

婦人日和 / 婦人倶楽部 (2025)

今年の頭くらいにラジオかなんかで流れた先行リリース曲#7『Winter Rendezvous』をきっかけに存在を知ってよく聴いていたところ秋口に9年ぶりのニューアルバムが出たので、まるで9年待ち侘びていたみたいな面をしてウキウキで聴き込んだ。

聴いていて恥ずかしくなるくらいの茶目っ気があるポップス、好きです。谷川俊太郎の遺作(訳詞)である#8『トキ!トキ!トキ!』(なんてすてきな曲名なんだ)ももちろん必聴。

 

佐々木直人 / 粗品 (2025)

共感とか支持ができるかはさておき、自分の中にある芯とか軸に対して真っ直ぐ矛盾しない言動してる人って良いですよね。

そういう点で山中さわおと通ずる所があるから好きなのかもしれない。

 

テーブルテニスのゲームのレフィル / 諭吉佳作 /men (2025)

あんまり圧倒されるような作品を見聴きしたときに爆笑してしまうことがたまにあるが、本作を初聴したとき久しぶりに爆笑した。これがBGMのゲームをやりたすぎるが、これがBGMのゲームがなくて泣いてる。

 

 

以上。

西友で涙ぐむ

 

音楽を聴く時間がめっきり減っている。それでも人並みより多少は聴いている自負こそあれど、在宅で仕事しながら聴いて終業後にゲームしながら聴いての毎日を繰り返していた日々と比べると幾らか見劣りはする。

特にここ数年は週次で追いかけるラジオが増えたことでより一層耳ん中で爆音で音楽が鳴ってる時間は少なくなった。

そんな中で今の俺が最も真摯に音楽と向き合っている時間は、西友で買い物をしている時だ。

週の半ばぐらいの、ちょうど愛顧のラジオのストックが切れたぐらいの日の仕事終わりに、ただただ見慣れた店内の景色を無心で周回しながらイヤホンの向こうに耳を傾けている時にこそ、俺は全くのニュートラルな気持ちで音楽に触れている。

 

話は変わるがここ一年でまるで涙腺が緩くなった。これまでどれ程感動してもせいぜい目頭が多少熱くなるくらいで落涙には至らなかった俺のまなこは、ことあるごとにびたびたと濡れるようになった。俺はルックバックを観に行った映画館で隣の席に気を遣うほど咽び泣き、からくりサーカス全43巻を読み終えるまでに8回泣いた。

まったく個人的な話だが、その中でも特に自分にとっては、曲を聴いて涙を流すと言うのがこれまではまるで理外のことのように思えていた。有り体に言えば所謂"泣かせにきている"ような作劇に対してまんまと感動させられることはあっても、さんざ聴き慣れた曲の一節が殊更心に沁みるようなことは無かった。無かったのに最近は取り立てて歌詞が琴線に触れることもないような曲を聴いている最中にふとグッとくることがままある。

その結果俺は最近、西友で買い物をしながら時たま涙ぐんでいる。少しばかり正気じゃないと思っている。

 

さらに話は変わるが先週祖父が亡くなった。身内の不幸を話の種にしてから久しくないが、3月に祖母が亡くなってから間も無くしてのことだ。

じいちゃんの話は実に7年半も昔にここでも一度していて、その時点で彼は多少なりボケていたのでここ数年の状態は察するに余りあるものだった。まともに会話をしたのも最後に会ったのもずっと前だ。言い方こそ悪いがたったひと月前にまるで元気な姿を見ていたばあちゃんの時よりは幾分かそれを受け入れる準備もできていた。

 

じいちゃんの火葬に向かう直前、実家のテレビでは『チコちゃんに叱られる!』が流れていた。その回で取り上げられていた話題は「映像に音楽が加わるとより感動するのはなぜ?」といった内容だった。その理由をかいつまんで話すと、映像だけを享受している時にはその一点の情報にのみ集中している感受性が、音楽という外的要素を加えられることで散漫となり、結果として自分自身の共感とかそういう盤外の所まで意識が行くとかそういった要因によるものだそうだ。つまりは本筋から逸れることで却って感動しやすくなるらしい、ということだと思う。齧り付いて見ていたわけじゃないから細部が怪しいけど多分大体あってる。気になるならお前らもチコちゃんを見ろ。

歳をとるごとに感性は衰えて行くのに、歳をとるごとに涙腺が緩くなると言われているのが長年疑問だった。近年涙腺が緩くなって、じいちゃんばあちゃんが亡くなって、チコちゃんに教えてもらってようやく合点が行った。感性が衰えた結果、これまで感じていたよりも色々手前の部分で感動した結果、俺は泣いているのだ。火葬場で流れるオルゴール調の『千の風になって』を聴きながら、俺はまた少し涙ぐんだ。

 

葬儀が終わって実家のある北海道から仙台に帰り、近所の西友で買い物をする最中にシャッフルしていたプレイリストの中から玉置浩二の田園が流れた。もちろん取り立てて歌詞が響いたりだとか今の心境と重なったりだとかすることはないのに、西友の鮮魚コーナーで田園を聴きながら俺は少し泣いた。その涙が果たしてどれに起因していたのか、俺にはわからなかった。

『レザボア・ドッグスみたいだね』

 

先週身内に不幸があり、生まれて初めて忌引きというものをとって実家に帰省した。

ちょうど先月帰省をしたばかりだったので街の景色も部屋の間取りもまるで変わり映えはしていなかったがどういうわけか実家には猫が1匹増えていた。

 

黒ネクタイなるものを持ち合わせていなかったので慌ててどこで買えるのかを調べるとコンビニなどにも置いてあるらしいことがわかったので帰路のどこかで購入することにした。

はじめに職場の最寄りの100均に寄ったところ早速黒ネクタイが売られているのを見かけたが「100均のネクタイするのもなあ」と思い購入を見送ると、それ以降はコンビニにも駅の構内のテナントにもユニクロにも、どこに行っても黒ネクタイはおろか普通のネクタイすらも見つけることができなかった。

最後の頼みの綱として実家の最寄りのセブンイレブンに立ち寄ると、紺色に水色のストライプが入ったネクタイだけが売っていて「ないよりはマシか?」と手に取ったが、コンビニのネクタイなんか普段は誰も手に取らないせいかそのパッケージは土埃でひどく汚れていた。

不承不承ながら2,000円を払って買ったその汚いネクタイだが、実家に帰ると普通に黒ネクタイがあったので結局それは封も切らずに実家に置いてきた。

 

通夜の当日、喪服を纏って従兄弟と並んで受付をする僕の姿を見て、母親が『レザボア・ドッグスみたいだね』と言った。

僕はタランティーノの作品はパルプ・フィクションくらいしか通っていなかったし、従兄弟もあんまり映画を観ないのでお互いピンときていなかった。

 

ので、通夜の翌日、母親と二人でレザボア・ドッグスを観ることにした。正直、これまで観た映画の中でも指折りの中に入るくらいに面白かった。

僕は役者にあまり詳しくないのもあり洋画は特に登場人物の顔を覚えられないのだが、その演出も相まって所謂群像劇と呼べるような作品の中では最も感情移入をしながら観れたのが非常に良かった。パルプ・フィクションを観たのも高校生の時とかなので殆ど内容すらも覚えてはいないのだけれど、パルプ・フィクションの時よりもずっと夢中になって観ていたと思う。

あとラジカセ流しながら拷問をするシーンを筆頭に、俺の大好きな漫画の大好きな章『ジョジョの奇妙な冒険 第5部』の元ネタないしは強く影響を与えたであろうシーンが多く、そういうところも観ていて非常に楽しかった。

 

ただ通夜の翌日に母親と一緒に観るような映画じゃあないだろ。

よつばと16巻のネタバレを含む記事

 

俺は中学生の頃大阪にマジで恋をしかけていた。

ここでいう大阪とは地名ではなく、あずまきよひこの著作『あずまんが大王』に登場する女子高生のキャラクターの通称だ。彼女は関西人だがどこかおっとりとぼけた性格をしていて、関西の出身というだけでクラスメイトから『大阪』という渾名で呼ばれている。

本作の中でも指折りで好きなエピソードに、修学旅行で沖縄(これは地名)に行く回がある。そのうちのワンシーンで大阪が首里城にある『おせんみこちゃ』に訪れた時に、その名称がツボにハマって爆笑する場面があり、俺はそのシーンを見た時に彼女のことが堪らなく好きになった。

もし俺が大阪のクラスメイトで、きっと学内行事以外では碌に会話をする機会もなかったであろう彼女が「おせんみこちゃー あはは あはははは」と爆笑する姿を目の当たりにしたならば間違いなくそれだけで惚れてしまうだろうと思う。

 

そして先日発売した氏の別作『よつばと!』の最新刊の書き下ろしに、実に25年ぶりに大阪が登場した。所謂クロスオーバーというやつだ。

読む前にSNSで幾らか感想が流れてきて、それらはネタバレに配慮してか『ビックリした』とか『やばい』とか『ありがとう』みたいな断片的なものだけだったが、作者本人の投稿の言葉選びが不穏すぎるのもあって妙に緊張感を抱きながらページを捲っていた。

そして件の最終話のサブタイトルと展開から「まさか」と思い、グラウンドで鉄棒を掴む彼女の後ろ姿を見た時には文字通り息が詰まった。なるほどビックリしたしやばいし「ありがとう」それしか言う言葉が見つからない。

 

よつばと!』は描写の繊細さも相まって前作よりもずっとリアリティラインが高く、本当にこっちの世界のどこかにありそうな日常が描かれている。その世界に大阪が居る。大阪が25年前と変わらずとぼけた真似をしている。時空や次元を跨いで大阪が俺たちの方に近づいてきたみたいだ。それだけで俺はもうどうにかなってしまいそうだった。ルイズのコピペみたいな気分だった。

 

大阪は小学校の先生になっていた。『あずまんが大王』の作中ではクラスメイトのちよちゃんから「先生なんて向いているんじゃないですか」と言われていたが本当になっていた。これは凄いことだ。

いっぽう俺はもうすぐ29歳になるのに小学生のころに読んでいたのと同じまんがを読んで「大阪だ!大阪が出た!」と喚いている。正気じゃない。

 

わかってるねん

わかってるねんで?

 

備24

 

2024年。

次点含めてプレイリストをしたためたら非常に良い感じになったので、俺の所感とか別にいいからこれだけ持ってってもらえたら大丈夫です。

(Apple Music/Spotify)

 

 

〇Your Favorite Things(柴田聡子)

もう今更俺がこんなインターネットの場末で宣言することでもないかもしれないけれど今年はこれです。

今から5年前(5年前!?)に彼女の4thアルバム『愛の休日』に魅せられた俺は当のアルバム自体はそれはもう夢中になって聴き散らしたのだけれど、彼女の他の作品については当時の最新譜『がんばれ!メロディー』を一応ライブラリに入れておいたくらいで特別聴き込むこともなかった。だから別に本作もリリースを待ちわびてたりとか腰を据えて聴いたりしたわけではなかったのだけれど、いざ聴き始めるとアルバムが折り返すよりも前の時点で『これひょっとして大名盤では…?』と思わされるような衝撃を受けた。

5年前に『愛の休日』を聴いた時に感じた彼女の歌の特徴や魅力と言ったら、子供の鼻唄みたいなあどけなさのあるメロディだとか、間の抜けた歌詞の中でふと芯食ったような真理をぶつけてきたりみたいなイメージがあったのだが、本作ときたらえらくスタイリッシュというかR&B的というか、譜割りのハマりっぷりが段違いな分これまでほど歌詞も自然には入ってこないし、『愛の休日』で見せてくれたそういう魅力とは真逆とも言うべき角度で殴ってきて、まさに新境地に達している。これ往年のファンはどういう感想持ったの?

 

〇あなたが思い出すための/記憶の中の海辺 (ランタンパレード)

これエグいぜ。

本作は二部構成のアルバムであり、このアルバムタイトルは一部『あなたが思い出すために』と二部『記憶の中の海辺』を表している。そのコンセプチュアルな感じからして俺の好みなのだけれど、じゃあアルバムとして綺麗に纏まっているのかといわれるとそんなことはなくて、特に二部に入ると尻切れるように突然終わる曲が目立って最後にはなんだか消化不良みたいなふうにこのアルバムは終わる。その歯切れの悪さと全編通して漂うトリップ感がたまらない。

5月のアルバムなのでもう半年以上聴いていることになるのだけれど未だに「なんだこれ」と思いながら聴いてます。今年は柴田聡子だったと言ったけれど、酒飲みながら聴いているとこっちかなあと思うこともある。煙草まだ吸ってたらこっちだったと思う。

 

星彩大義のアリア(粗品

これやけに聴いてた。ニン込みで聴いてる部分もあると思うけれどやっぱり声がいいね。

ボカロのときはそんなだったけど、歌詞もメロディもまっすぐな分バンドサウンドと肉声で聴くとクロマニヨンズっぽさを感じられて最高。

 

 

〇Iris(BUMP OF CHICKEN

それこそこれも5年ぶりだ。音楽的な振れ幅の部分で合う合わないは大きくなってきたけれど、#4『スーベニア』とか#11『窓の中から』なんかはかなり好き。言ってしまえば前作同様に既発曲の寄せ集めではあるし、前作以上に間隔も空いてしまっているけど通しで聴いた時のまとまりは意外とある。

『窓の中から』を筆頭に全体的に"リスナーに向けた"歌詞が目立つので、「俺等みたいなもんにはレムでも聴かせといてよ笑」と思っていたら本作のリリースツアーでセトリ入りしていて腰抜かした。

 

 

〇境界(乙女絵画)

テレビ大陸音頭が話題になった時におなじ札幌の括りで一緒に名前を知った激goodバンド。札幌離れてから札幌の良いもの目に付くのやめてほしい。

歌謡的ながらもドロドロな感じ、たまんね〜。betcoverとか好きならぜひ。

 

 

〇Dyspepsia Original Sound Track(大山田大山脈)

去年に続いてのサントラ枠、と見せかけて、本作は90年代の架空のテレビゲームのサントラとして作られたコンセプトアルバムだ。

たまたまディスクユニオンの店頭で見かけて「これは滅茶苦茶やってる奴か滅茶苦茶良いものかのどっちかだな」と思って聴いたら、やってこそいるけどそれはさておき良いアルバムだった。変な名前の人の変なアルバムでも全く冒険せずにとりあえず1周聴けるのはサブスクの良いところでもあるし悪いところでもある。

それこそlainであったりとか、まだプレイステーションが灰色だった頃にやけに乱立していたような気がするよくわからないコンセプトをしたローポリのゲーム特有の薄暗い空気感だったりとか、その手のゲームに漂っている不穏さみたいなものが解像度高く表現されている。

特に#6『The color of the boiled organs is rose color』が作中で流れるであろうシーンなんかを想像すると俺は存在しない筈の回帰不能点にトラウマを刺激された挙句、今すぐにでも街じゅうの中古屋を巡って本作のパッケージを探し求めたい気分になるのだ。

 

 

〇Trooper Salute(Trooper Salute)

これを書いている真っ只中にリリースされたのがアップルミュージックのサジェストで流れてきて以来毎日聴いてる。フックの強いポップ、直ぐに惚れ込んでしまうので注意を払いたいと思いつつもちょっとツボすぎるかもしれない。

レトロな歌謡曲っぽくもあればふた昔以上前のアニソンっぽくもあったり、抑揚の強い歌声が乗ると最早演歌のようにも聞こえたり、なんかたまらんのですけどどうですかね?来月再来月あたりに手のひらを返してなきゃいいなあと思っています。

 

 

以上です。

それはそれとして今年の優勝曲は篠澤広の光景でした。

最近は藤原基央に子どもが出来たらどういう歌詞を書くのかみたいなことばかりを考えている

 

初っ端からきっしょい題目掲げてごめんね。順だけ追わせてください。

 

 

世の中には2種類の人間がいる。中学の頃バンプが好きだった奴と、まだバンプが好きな奴だ。クリント・イーストウッドも言ってた。

バンプオブチキンといえば特に僕らくらいの世代だと感性が潤い始めたくらいの頃に往々にして麻疹みたいにしてかかっていたような印象があるので、なんとなく他のどれそれと比べて「卒業するもの」みたいな偏見が伴っている気がする。

僕にとっての話をするならば、たまに数年ぶりN度目の波が来て錆びたシャベルで思春期の記憶を掘り起こすみたいに夢中になって聴いたかと思うと、その後数年単位でまともに聴かなくなるような距離感を保っている。みんなはどうですか。僕はいまその不定期な波の中でも特段に大きいやつが来ているので語り始めています。

 

取り急ぎ彼らの一番の名盤は何かという月並みすぎる問いを自らしてみるならば僕は間違いなく6thアルバム『COSMONAUT』を挙げる。何と比べても負けない。

あろうことか僕が中学二年の頃の冬にリリースされたアルバムなのでそりゃあ人格形成や嗜好にクリティカルを与えかねないほどの影響力が多大にあったし、それを差し置いても作品として詞曲ともに彼らの一つの到達点だとさえ思っている。

ただ本作で歌われる詩世界としてはどこか懐古的な要素が強く、それが#2『R.I.P』や#12『宇宙飛行士への手紙』で共通して歌われているような要素に繋がっていて、そういう意味では当時の僕には〈地球で一番幸せだと思ったあの日の僕に君を見せたい〉とか言われてもその真意を測りきれてはいなかっただろうとも思う。

 

で、じゃあこの二曲の言わんとすることを端的に(深く語るとあまりにもこそばゆいので)言うならば、かけがえのない何かと出会ったときに、それがどれだけかけがえなくてもお互い出会う前の過去には介在できないよねってことだろう。

その命題は普遍的でもあって、例えば『こんな良いバンドなんで今日まで知らなかったんだ』みたいな話でも『こんな名著を読まずに今日までのうのうと生きてきたなんて』みたいな話でも、あるいは何らか人との関わり合いなど当てはまることは多く、そしてそれは歳を重ねるごとに溜まる集積だ。

 

して、ここで表題につながるんだけど、そうなった時に我が子と言うのは上に挙げた二曲におけるものとは真逆の存在になると思う。

相手の人生のうち、自分と共有できている領域の割合が圧倒的に多い。出会う前の過去なんてものはほとんど存在しないのと同義だ。でもそれが歳を重ねるにつれてやがて手元を離れて知らない記憶をどんどん増やしていくことになる。そうだよくよく考えてみると子離れというのはCOSMONAUTの中で歌われていた一つの大きなテーマの真逆とも言える事象なのだ。

それじゃあかつてそれを歌っていた藤原基央は子離れを思って何を感じるのか。それを歌にしてくれるかどうかはさておき、すげえ気になるなあ。ということを考えています。

うーん、順追った上で全然キショい。

 

 

メシ喰うな

 

コロッケパンが食べたかった。それも袋詰めされた市販のやつなんかじゃなくてちゃんとしたパン屋さんのやつが。

生活に根付く中で最も身近な贅沢はパン屋だと思う。かかるお金と得られる幸福度のバランスが最も丁度いい。オールドファッションな騎士のスタイルみたいにトングとトレイを両手に構えて店内を物色している時間にこそ『私たちのしあわせは、所詮こんな、パン屋の品揃えから3種選抜することくらいのものなのだ』と思える。

とはいえ今住んでいる家の側にはパン屋もなく(そもそもコロッケパン置いてるパン屋って意外と少なくない?)わざわざ遠出してコロッケパンを探し求めるにはここ数日で冷え込んだ空気が厳しい。その欲を抱えたまま一週間くらいの日々を過ごした挙句、結局セブンイレブンのやつを買って食べてしまった。もちろん美味かったが、どこか消化不良の面持ちで口元を拭った。

 

こと欲求に関して言うならば、溜め込めば溜め込むほど解放した時の満足度というものは高くなるはずで、アラームもポケモンスリープもセットする余力すら残さずにベッドの上で力尽きて、電灯がついたままの部屋で目を覚ますのが最も気持ちのよいことは明らかだ。

だが食欲の場合は一概にそうとも言い切れず、餓死寸前で施された乳がゆと昼飯抜いた夜に食べる叙々苑のどちらが満足度が高いのかと言われると閉口してしまう。それは他の欲求と比べてそれを向ける対象と満たす手段のバラエティが異常なまでに多いからだろう。

要するに食べたいものとは別のものを食べて一応の欲求を満たしながらも、いま満たしたばかりのものとはレイヤーの異なる欲を抱え続けるのである。そういう日々を幾らか積み重ねてから、胃袋的には特別飢えているわけでもない時にその欲望を解放する。その喜びは時に砂漠の水にも勝るのだから、生半可な二級品で満たしてはいけない。

なのにコンビニのコロッケパンで満たしてしまったなあ。

 

トリガーは忘れたがずっとカツカレーも食べたかった。最近と言えばレトルトかコンビニのカレーしか食べていないなと思いながらもコンビニの薄くパサついたカツのカレーじゃこの欲は満たされまいと、半月くらいの間頭の片隅にカツカレーを飼いながら過ごした。

そんな最中、先日旅行で福岡まで行った帰りに東京駅で新幹線の出発まで小一時間程度の時間を持て余したので、旅行終わりの緩み切った財布の紐にまかせて駅地下の店の1500円くらいするカツカレーを食べた。美味いとは思いながらも流石の割高感を覚えながら、俺は自分がここ数日ずっと食べたかったのは定食屋とかの真っ白くて厚みのある皿に盛られたもっと素朴なカツカレーだったのだと気がついた。

 

そんなふうにここ最近は食欲を満たす手段の選択を間違えて不完全燃焼に終わることが多い。

そして今これのデカいやつをずっと抱えている。

 

2, 3ヶ月くらい前にSNSで、町中華のお店でビール飲みながら大きい皿を突っつき合っているようなイラストを見たのを切掛に、もうずっと町中華が食べたい。その欲求のデカさときたら先のコロッケパンのゆうに8倍はくだらない。とにかく俺は今できるだけテーブルが赤くてできるだけ皿がデカい店に行きたい。

これ以上肥大化する前に早いところ解消したいのだけれど町中華への見識がなさすぎてものすごく足踏みしている。そういういかにもな町中華のお店って結構ピンキリな気がして、近場のお店とかを調べてみても良くも悪くもない評判をしていて怖い。そうやって、こればかりは失敗したくないと足踏みしているうちに欲求はまた少し肥大化してしまう悪循環に陥っている。

 

間違いのない町中華のお店をご存知の方がいたら教えてください。今ならどこまでも行きます。