センター試験の思い出

 

その日は朝から大雪で、カーテンの隙間から覗く外の景色は真っ白で何も見えなかった。こんな天気の中早くから外に出るというだけで億劫なのに、ましてや今日はセンター試験、人生を変えうる2日間の初日だ。いつもよりやけに早起きができたものの、プレッシャーが重くのしかかり朝食の食パンも1斤しか喉を通らなかった。母親からの激励を受けて家を出ると、すぐさま雪の粒が顔面に飛びついてくる。足取りの重くなるような向かい風の中で、僕はセンター試験の会場へと向かった。

 

会場までの道のりはおよそ徒歩30分強くらいで、普段の通学時間が10分もなかった僕にはなかなか骨の折れる距離だった。

イヤホンからはこの数ヶ月間自分を支えてくれたバンドの曲が流れる。なんだか足取りがさっきよりも軽くなった気がして少しだけ早足になったが、その直後僕はその足を止めることになる。

 

視界の先、歩道の隅で老年の女性がうずくまっていた。こんな大事な日にこんな場面に遭遇するなんてまるで漫画やドラマみたいな展開だと自らの間の悪さに驚く。だが漫画やドラマの世界だとここで人助けをしたことにより思わぬ幸運に見舞われるという展開に繋がると相場は決まっている。例えば面接当日に助けた爺さんが代表取締役だったり。果たしてセンター試験という人情の絡む余地のない勝負の中で人助けが幸運に繋がることがあるのかというのは甚だ疑問ではあったが、余裕を持ってだいぶ家を早く出ていたのと、見過ごすのもバツが悪いという理由もあって僕はうずくまる女性に声をかけた。

 

その女性はどうやら目眩を起こして身動きが取れなくなってしまったようだった。救急車を呼ぼうかと思ったが、その後のことを考えた結果タクシーを呼んで彼女を病院に送り届けた後そのままセンター試験の会場へと向かってもらう方が手っ取り早いと考え、大通りに出てタクシーを捕まえた。

病院へと向かうタクシーの中、彼女の意識もだいぶはっきりとしてきたようで僕は彼女といくつか会話をした。話によると彼女は今朝美術館に向かっている最中であったらしく、どうやら今日は美術館で狩野ナントカという人の特別展が行われているようだった。"悲母観音"が観たかったの、と彼女はぼやいていたが美術の見識を持たない僕にはよくわからず、適当な相槌で誤魔化した。

 

そうこうしているうちにタクシーは病院に着いた。彼女は僕が会場に向かう分までの運賃を先に払ってくれた。「後日領収書を送ってください」と彼女は運転手に名前を伝えた。

「オオムラ ジュンコ、大きい村に、潤沢の潤に子どもの子、でお願いします」

支払いを終えた彼女を病院の中まで送ってあげようとしたが、彼女は「あとは大丈夫、試験頑張ってね」と言って一人で行ってしまった。なんだかもう元気そうだったし、僕が同乗した意味はあったのだろうかと思ったが、余計なことは考えずせめて会場に着くまでの悪あがきとして英単語帳に齧り付くことにした。

 

そして会場に着き、間もなく試験が始まった。最初の科目は地歴、僕が選択したのは日本史Bだ。

概ねの問題は解けたが、最後の大問の1つがわからなかった。

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下線部©️の人物は安井曾太郎、Yはたしか合っている筈だがXの検討がつかない。

どっちだろうと頭を抱えていると、ふと「悲母観音」という言葉になんだか聞き覚えがあるような気がした。そうだ、さっきタクシーの中で彼女が言っていた。

「"悲母観音"が観たかったの」

特別展が開かれていたのは確か狩野ナントカという人、Xは誤っている!

 

思わぬミラクルで難問を突破できたこともあり、日本史の手応えは中々のものだった。

 

続く国語の試験、初めは現代文の評論だったが、最初の問題で早くもつまづいてしまう。

評論の第1問は傍線部の熟語と漢字が同じものを選ぶ問題だが、その内の一つがわからない。

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「ジュンタク」のジュン、"純"だっけ、それとも"潤"だったっけと頭を抱えていると、タクシーの中で見た領収書の切れ端が脳裏にフラッシュバックする。

ーー大村 潤子。大きい村に、潤沢の潤に子どもの子!

僕は思った。これ、スラムドッグミリオネアだ!

 

初日の最終科目である英語もなんか直前にタクシーの中で詰め込んだ英単語帳の単語がいっぱい出てきて事なきを得た。いやあ、人助けって大事だなあ。

 

 

というわけでお題箱より「センター試験の思い出」でした。受験生のみんな、もうひと踏ん張り頑張ってね。