ラムールエブルー

 

ペンキで塗りつけたような、どぎつい原色の水色を見るとやけに高揚する。

まったく思い出せこそしないものの、まだ物心もつかない幼少期の頃に当時の僕がもの凄く好きだった同じ色をした何かが身近に(あるいは多少遠くに)あって、それを見たのか触れたのかした時の感覚が原体験的に思い起こされて心が微動しているような気がしている。それが何だったのかと言われると皆目検討もつかないが。みんなにもそういうのあるのか?

 

デカいものを見た時の恐怖感もある。それはメガロフォビアともちょっと違うような気がしていて、巨大なものを見たり想起したときに2割くらいの確率でトラウマめいた怖さが頭の裏側をふと過ることがあり、デジャヴの後みたいな気持ちで「なんか今怖かったの思い出したな」と思ってすぐに忘れる。

水色を見た時のそれは辿れこそしないものの「あった気がする」くらいの記憶を思い起こせるのだけれど、こちらは脳のどこにも掠ることさえない。ただそのトラウマやデジャヴと似た感覚があることから「そうなのかも」と思うだけだ。あなたにもそういうのあるのか?

 

こういう絶妙に言語化しづらいような感覚だったり、何かのネタになりそうな思想思考だったりを子供の頃から沢山してきたと思うんだけれど誰にも話さないから軒並み忘れていくのでどこにも残らない。

なんか勿体ないので今日どぎつい水色を目にして思い出したこの感覚をそれこそ備忘的に書き起こしてみた。みんなのこういうの知りたい。

1,600円のパスタを食べることによるモラトリアムからの脱却

 

下書き供養。3年くらい前の俺が美味しいパスタを食べた時の日記。

 


パスタは良い。安いものなら一束およそ数十円程度の単価にして、十分とかからず油も使わない調理で、百円もしない市販のパスタソースをかけるだけで食事として完成する。

その手軽さと安価さがゆえに貧乏学生の侶伴として広く消費されてきたパスタの功績は多大なるもので、僕の学生時代も自炊といえばそればっかり、溢れかえるパスタの山を泳ぐ日々だった。

 

そんな食生活が災いしてかパスタと貧困が強固な等号で結びついてしまい、学生の時分より外食で取り扱われる千円程度のパスタだとか果てにはコンビニで売ってるワンコイン相当のパスタなんかが圧倒的にコストパフォーマンスの劣るものに思えてしまいどうにも食指が伸びなかった。

 

しかしてそのような偏見に基いて本当に美味しいパスタを食べることなく、それなりに残っているであろう余生を過ごしてしまうのはいかがなものなのだろう、と最近になってようやく思い始めた。

 

そりゃあ世に溢れる食材だってピンからキリまであるわけなのだから、例えばスーパーに並ぶ安いサイコロ状の牛肉しか食べたことのないやつが「牛肉は脂っこいだけで全然おいしくないね」などとぬかすようなことがあれば僕だって「いやいやそれは違うんじゃないの」と異を唱えざるを得ないだろう。

同じように、安物の麺に出来合いのパスタソースを和えたものを食べた程度で得られる粗悪な知見の杓子定規に囚われ、その他一切の美味しいパスタと邂逅する機会を自ら放棄してしまうのは愚かと言うほかない。

 

なので先日、仕事の昼休みにちょっと値の張るパスタを食べに行った。職場の最寄りにある少しだけかしこまったイタリア料理店で、茄子とモッツァレラチーズがトッピングされた牛挽肉のボロネーゼ1,600円を「ままよ!」って思いながら注文した。

 

美味いパスタは麺からして違う。普段、不定の茹で時間で雑に調理するボソボソの麺とは似ても似つかない、僕の知ってるパスタとはまるで別物である。むしろ僕がこれまで茹でていたそれをパスタと呼ぶことの方がおこがましいのではないかと思い至るほどだ。

店で提供されるパスタは具沢山であることもたいへんに喜ばしい。普段食べる市販のパスタソースに入っている爪の先ほどの大きさしかないベーコンの切れっ端を小指で弾き飛ばすほどの茄子がゴロゴロ入っている。皿の中に点在するモッツァレラが熱で溶けて僅かに形を崩し麺と絡み合うことで、いくら食べても口飽きすることのない食感を与えてくれる。フォークを握る左手は留まることを知らず、『ンまぁーいっ!!味に目醒めたァーっ』と心の中で声を上げながら、ひと皿をぺろりと平らげた。

 

とにかく、この度食べた1,600円のボロネーゼは、大げさに言うのならばコペルニクス的転回とでも呼ぶべきほどの価値観のアップデートを僕にもたらした。

 

二十年近く生きて五年も一人で生活をこなすようになると日常のあらゆる所作が形式化されていき、とりわけ"食"に関していうならば、朝は必ずパンを食べるし水曜日と木曜日の夜は鶏むね肉を食べる。誰に決められたわけでもないのにそんなルールが僕の中にはできあがっている。

金がなければパスタを茹でるし、少し贅沢をするならば良い肉か良い魚を中心に据えたくなる。

でも少し贅沢をするためにパスタを食べたっていいのだ。貧すれば鈍するという言葉もある。たまの贅沢には型破りに、その時食べたいものを糸目をつけずに食べよう。100均のレンチンでパスタを茹でられるあの容器のやつを捨てよ、町へ出よう。

 

2023

備忘録のやつです。年跨ぎで書いたので去年のことを今年と言っています。

 

■Parakeet & Ghost / カーネーション(1999)

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カーネーション、18,000分聴いてました。

今年で活動40周年にもなる超長命ユグドラシルロックバンドことカーネーション、恥ずかしながら今年に入るまで触れることなくのうのうと生きてきた。さながらそのツケを支払うかの如く過去18枚の作品を引っ搔き回して聴き散らかしていたら18,000分経っていた。

アルバムとしての完成度でいうならば自他共に認める彼らの最高傑作『天国と地獄』とか、ゲストに迎えた"家主"の田中ヤコブの軽快なギターから始まる64歳のおじいちゃんが作ったとは思えない先々月リリースしたての19枚目の(おそらく)名盤『カルーセル・サークル』とか、語りたいものは山ほどあるのだけれど断腸の思いで一枚選ぶならば『パラキート・アンド・ゴースト』だろうよといった所存。

 

本作は19曲収録で70分越えの再生時間と、普段3,40分程度のアルバムを有難がってぼりぼりヘビロテしている俺にとってはなんだか敷居の高いアルバムだったのだけれど、アルバム全体を通してポップでありながらもサイケで実験的なテイストを多く含んだ奇怪な作品、つまり俺の大好物だったのでドン嵌りした。

その一方で#15『アンブレラ』は骨太なロックサウンドを鳴らし、#11『Strange Days』のような優れたメロディのバラード曲もアルバムの中核で存在感を放ち、まるで隙が無い。

そして何より素晴らしいのがこれだけやりたい放題やっていながら1枚のアルバムとしては取っ散らかっているどころか脱帽ものの構成力で非常に収まりよく纏まっているということ。19曲のうち7曲は2分未満のインストであり、それらをインタールードとして歌ものをセクション分けしたような全体の構成はまるで劇伴でも聴いているような気分になる。

個人的イチオシは#12『月の足跡が枯れた麦に沈み』。ミドルテンポのロックサウンドとして俺の中での一強であるピロウズのストレンジカメレオンに肉薄するほどの名曲。こんなに良い曲なのに売れないどころかロクに聴かれてもいないの悲しすぎるから聴いてよ。

Parakeet & Ghost - Apple Music

 

 

■Steppin' Out / KIRINJI(2023)

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小学生の頃に塊魂のゲーム中で流れるキリンジの曲を聴いてからというもののずっと細やかなキリンジのファンだったのだけれど、大学生の頃まで1〜3枚目のアルバムくらいしかロクに聴いてこなかった時に当時の最新譜『cherish』を聴いたらあまりの変貌ぶりに俺は大声をあげながらイヤホンを側溝にぶん投げてしまい、それ以来彼らとは距離を置いていた。

そんなキリンジの熱が昨年末くらいからまた沸々と湧き上がってきて、『愛をあるだけ、すべて』とかを聴いているうちに「KIRINJIも悪くないじゃん」などと偉そうに思っていたところに満を持してリリースされた現在の最新譜が本作『Steppin'Out』だった。

だから特別琴線に触れたというよりは能動的に聴きに行った感じのアルバムだし、普段の嗜好とだいぶかけ離れているのであんまり語れることもないのだけれど、何よりも本作のリリース後に観に行ったツアーの演奏が今年のベストアクトだったんじゃないかってくらいに良かったので挙げる。

個人的イチオシは#1『Runners High』。これもう一回生で観たい。

Steppin' Out - Apple Music

 

 

■SF / 入江陽(2016)

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敬愛するバンドをこの五指を折り曲げて挙げたとき、間違いなくそこに含まれる中にフィッシュマンズがいる。

入江陽もまたフィッシュマンズの影響を多大に受けているであろうアーティストの一人なのだけれど、初期~中期の『KING MASTER GEORGE』とか『ORANGE』辺りのおもちゃじみたポップさであったり、悪ふざけしたような軽妙で馬鹿馬鹿しい歌詞のテイストであったりだとかを踏襲したような、これまで俺が触れてきたフォロワーのミュージシャンとはちょっと違う角度でのフィッシュマンズっぽさも見せてくれるのが非常にうれしい。

無人サンゴ礁 ぼんやり倶楽部 君とメイク・ラブ』とか言われても困るんだけどそういう詞の良さもあるし俺はそういうのが好きなんだ。

個人的イチオシは#2『5月』。日常の風景に少し浮遊感を足したようなサウンドと歌詞の世界観が好き。

SF - Apple Music

 

 

■サーフブンガクカマクラ(完全版)/アジアン・カンフー・ジェネレーション(2023)

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『マジックディスク』くらいまでのアジカンは中高生くらいまでの多感な時期に擦り切れるほど聴いたためにある種神格化されているので、正直はじめに本作の再録が出ると聞いたときには「いらんことしやんといてよ」などと偉そうに思っていたのだけれど、先行でリリースされた#3『柳小路パラレルユニバース』や#8『日坂ダウンヒル』を聴いてるうちに期待値は増し増していき、そして本作はその期待を凡そ裏切ることのない傑作だった。

既存曲に勝るとも劣らない新曲5曲もさることながら、オリジナル版を過去のものにしてしまいそうな程の再録曲たちが本当に素晴らしかった。

 

『サーフブンガクカマクラ』というアルバム自体が全曲に江ノ電の駅名を冠したコンセプトアルバムという少しお遊び感の強いものであり、確か音源も一発録りで録られてることもあって、当時の俺も擦り切れるほど聴いていたとはいえ楽曲的には『ファンクラブ』や『ワールドワールドワールド』のそれより深追いしていたわけではなかった。

そのせいか「由比ヶ浜カイトってこんな面白い構成してたんだ」とか「極楽寺ハートブレイクってこんなご機嫌なビートだったっけ」とか「鵠沼サーフの1サビ終わりのドラム暴れ過ぎでは」とか思って原曲と聴き比べてみると存外大差なかったりして、「俺ぜんぜんサーフブンガクカマクラちゃんと聴いてねえじゃん」と思い知らされるような再発見が多かった。

余談だけど本作のツアーで初めて生のアジカンを観に行った。本作の元ネタと言って差し支えない程のオマージュが散りばめられているバンドであるWeezerの『サーフワックスアメリカ』のカバーが演奏されたとき脳飛び出るかと思った。

サーフ ブンガク カマクラ (完全版) - Apple Music

 

 

■「NEEDY GIRL OVERDOSE」Soundtrack(2022)

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二年ほど前に大バズりしたインディーゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』、今さらながら今年の夏頃にプレイしたところ大ハマりした。

ゲームの概要をざっくり説明すると、NEEDY GIRL OVERDOSEは精神が病みがちで人一倍承認欲求が強い女の子を100万フォロワーの配信者に育て上げる育成ADVである。のはずが、30もあるマルチエンディングの殆どはバッドエンドと呼んで差支えのないような顛末を迎えるため、「この■■■をどうやったら幸せにしてあげられるんだ」と泣きながら悪戦苦闘を強いられることになる。

作中の精巧なピクセルアートに合わせてBGMは8bitサウンドであり、キャラのステータスによってマイナーアレンジ版が流れるなど芸が細かく、先述の理由から周回を繰り返すうちにBGMの中毒性から抜けられなくなってしまい、クリア後はこのサントラを聴きながら別のゲームをプレイする始末だった。

 

ゲームとしてはドラッグや性描写、自傷行為なんかがだいぶコミカルに描かれてしまっている点から賛否もあり、あんまり手放しで褒められたものでもないのだけれど、

育成ゲーム特有のスノーボールに成功した時のドーパミン飛び出る感じとか、平成のオタクにぶっ刺さる小ネタが幅広くニッチなところまで散りばめられていたりだとか、特定のエンディングでは昨今のインターネットの現状について考えさせられる部分もあったりとかで非常に面白かったです。

†昇天†

「NEEDY GIRL OVERDOSE」 Soundtrack - Apple Music

 

■次点

・石のような自由/家主

出たばっかなので次点入りだけど最近はこれしか聴いてないまである。以前KIRINJI堀込高樹と対談していたときに「キャリアを重ねるにつれて音が豊かになっていくことに懐疑的なので敢えてインディ感を強くするようにしてる」的なことを言っていて「ずっとそうあってくれ〜〜」と思っていたのだけれど、暫くはそうあってくれそうだなと感じられる一枚でした。

石のような自由 - Apple Music

 

式日散花/ドレスコーズ

ドレスコーズ、『三文オペラ』あたりからちょっと離れていたんだけれど、去年リリースの『戀愛大全』のノスタルジックで歌謡曲感強めのテイストがかなり好みで、その『戀愛大全』の続編的な立ち位置でリリースされた本作はかなり期待値が高かった。蓋を開けてみれば前作より哀愁強めでいてベタベタな歌メロ、だけど一筋縄じゃいかない感じ、たまりません。のに全然聴けてない。「一筋縄じゃいかない」の辺りがもうちょいうまく言語化できるようになったらまた来ます。

式日散花 - Apple Music

 

・Song Pavilion/MUSEMENT

Apple Musicのサジェストで流れてきてええやんと思ったらカーネーションの元Dr.矢部浩志のソロプロジェクトだった。音声合成のボーカルかつかなりポップな作風だったので「これは良いの発掘したんじゃないかあ?」とか思ってたら全然大ベテランのおじさんだったのでひっくり返った。

ドラマー作曲の楽曲に対する謎の信頼感があります。

Song Pavilion - Apple Music

 

・馬/betcover!!

以前彼らの2nd『告白』にハマった後に前作の『中学生』や次作の『時間』をかなり能動的に聴いたのだけれどあまり刺さりきらず、『告白』が異質で本来のベットカバーの魅力は他のところにあるみたいだなあと思っていたのだけれど、去年リリースの『卵』でかなり自分の好みと折り合いがついてきて、今作でバチっとハマったような感じがする。

激情とメロウ感と気持ち悪さのバランスが(俺にとって)かなりちょうど良かった一枚。

馬 - Apple Music

 

 

今年は追ってるアーティストの新譜も結構豊作な1年だった筈なのにカーネーションキリンジばっかり聴いていたせいで時間がない!ので全然語れるほど聴けてない。去年もう一周やらせてくれませんか。

 

今年もよろしくおねがいします。

 

1977


所謂巨匠と呼ばれるに値するような歳を重ねたアーティストの訃報を軒並み耳にするようになってからというものの、還暦前後のおじさんばっか好きになっている自分にとって耐え難いような連続がそう遠くないうちに来るんじゃねえのという不安を半ば冗談交じりに感じていた。

にしたってそれはもうちょっとまだまだ先の話だろうと高を括っていたのにあんまりだ。

 

特にそういう不安を抱きつつもミッシェルガンエレファントなんかは僕が存在を知った時点で既に過去の伝説だったし、バースデイだって好きだけどリアルタイムで生きる彼のライブを熱心に追いかけていたという程でもない。

だからそういう不安の中で思い浮かべる中でもチバユウスケはまだまだ遠い方だったし、なんなら若い方だったので闘病のニュースを見ても尚、根拠もなく一回は戻ってくるもんだと信じるでもなく思っていた。それ故か思っていたよりずっと衝撃が大きいし全然受け入れられない。

 

snsに流れるポエムじみた言葉や出所のわからない動画を添えた追悼文とかを目にして「じゃかあしいわ」と嫌気がさしていたのに、家に帰って酒飲みながら、たった1年前のラブロケットのライブ映像とかシャロンとかラストヘブンズブートレグのガールフレンドとかを見たり聴いたりしていたらなんかやけに込み上げてきてこんな文章を書いている。

 

こういうのがこの先何度もあるのかと思うとあんまり耐えられそうにない。

 

ピクミン

今年やったゲームの話を備忘録的に幾つか残そうと思ったらピクミンだけで随分な量になってしまったので、とりあえずピクミンの話をします。

 

所謂あの歌が流行った当時にはゲームキューブを持っていなかったので未履修のまま生きてきたのだけど、今年最新作の発売に合わせて旧作がSwitchでも遊べるようになったので食指を伸ばした。

かなり難しいというのは噂にこそ聞いていたものの、あまりのシビアさに何度も心が折れかけたが、それでもクリアまでやりおおしたくらいにはハマった。

 

プレイして知ったがピクミンは管理職のゲームだ。

100匹まで連れ歩けるピクミンはその色ごとに得意分野が異なり、それぞれの特色に合わせてタスクを割り振る必要がある。

攻撃力の高い赤ピクミンには凶暴な原生生物と戦ってもらい、水の中を泳げる青ピクミンには川の向こうの荷物を運んでもらう。爆弾を取り扱うことのできる乙4ピクミンにはステージの壁を壊して新エリアを開拓してもらう。

ピクミンは残業ができない。一日の行動には制限時間があり、ゲーム内の時間で陽が昇っている間しか行動ができない。夜になるとピクミンの天敵である原生生物達はより活動的になり、日没の時点でプレイヤーのそばにいるのと拠点で待機している以外のピクミンは食べられてしまうのだ。

ピクミンには納期がある。前提として、このゲームの主人公のオリマーは宇宙の渡航中にロケットが大破してしまい、ピクミンたちのいる惑星に不時着した異星人である。ゲーム内の時間で30日が経過するまでに、大破して惑星中に散らばったロケットのパーツを回収して修理して母星に帰るのがこのゲームの目的となる。

納期までのロケット完成のために、時にはピクミンを定時のギリギリまで働かせ、「今日中にあのパーツとあのパーツを回収して、向こうのエリアの探索は明日以降に回そう」といったふうにスケジュールを管理する必要があるのだ。

 

そしてピクミンはあまりにも容易く死ぬ。敵である原生生物は基本的にピクミンの数十倍の体長の奴らばかりで、正面からサシでやりあったならばピクミンは一発で喰われて死ぬ。

そうならないためにも大量のピクミンを煽動して、原生生物の寝込みを背後から多勢で叩き回して勝利をもぎ取る。生存競争に"卑怯"の二文字はない。

そうやってどうにかピクミンを殺さないように敵を倒し、パーツを運ばせてクリアを目指すのがこのゲームの趣旨なのだが、先述した通りその趣旨を満たすのが非常に難しい。初見であれば余程ゲームのセンスが良くない限りは三桁にも及ぶ数のピクミンがロケットの完成のために犠牲になってしまうことは避けられない。その夥しい数の犠牲ピクミンを以てしても時間が足りず、ロケットを完成できないことさえある。

 

そしてこのピクミンの犠牲の要因は大抵の場合、プレイヤーの管理不行届によるものだ。これが何よりも辛い。

例えば水路を渡るための青ピクミンの隊列の中に赤ピクミンが混ざっているのに気が付かないまま入水させ、溺れさせてしまう。

例えばパーツを拠点まで運ばせる間目を離していたピクミンの様子を見に行ったら、拠点までのルート上にいたであろう原生生物に喰い散らかされて、道端に運搬途中のパーツだけがポツンと残っている光景に出くわす。

例えば日没前に集合をかけて何度も指差し確認をしたはずなのに、何故か翌朝5匹くらいピクミンが減っていることがある。

そういった理由でピクミンが死ぬ度にプレイヤーは何度もやるせなく果てしない罪悪感に苛まれる。これが何よりも辛い。

マリオやマデリンをいくら犠牲にしても感じることのなかった罪悪感を、ことピクミンに限ってはあまりにも甚く感じてしまう。それはゲーム内で描かれるピクミンの生物としてのリアリティと、そのピクミン達が自分のポカ1つで葬られてしまう(それもダース単位で)ことによるものだろう。

 

そんなわけで、プレイ中はゲームとしての面白さと苦痛が絶妙な塩梅で混じり合っていて、もうやめたいけどやめられない楽しい地獄みたいなゲームだった。

あと幼少期にピクミンを通ってきた人間は仕事ができる大人になっていると思う。割と本気で統計取ったら有意性ある結果が出るんじゃないか。仕事のできない俺が沢山のピクミンを犠牲にしたうえで言ってるんだから間違いない。

とにかく、大人になってからやったことで何か違う味わいみたいなものを感じられたような気がして楽しいゲーム体験でした。

 

因みにそのまま流れで2にも手を出したら、地下にいる爆弾背負った虫みたいなやつに八十匹余りのピクミンがまとめて吹き飛ばされて完全に心が折れました。


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一行日記

3/1 晴れ

ひとつきの無職を脱却した。だめな気がしてきた。

 

3/2 風

通勤途中に読む本を決めあぐねた結果「こゝろ」を再読するに至る。どんなに素晴らしい小説も映画も間を置いて読み返すとなんだかんださわりぐらいしか話を覚えていない。4分30秒のあの曲ぐらいリピート性の高い名著があればいいのに。

 

3/3 風

今日までチャットモンチーの作詞が全部橋本絵莉子だと思っていた。あの曲もあの曲も、元ドラムの人の作詞だった。それを識ったところでその曲の価値は少しだって揺るがないけれど、チャットモンチーを聴く度にえっちゃん凄ぇやって思ってたので妙にショックではある。フィッシュマンズの「あの娘が眠ってる」が佐藤伸治の詞曲じゃなかったときも同じ気持ちだった。

 

3/5 晴れ

久々に酔い潰れるまで酒を飲んだ。目が覚めたら着ていたはずのカーディガンがなくなって、眼鏡も壊れてた。飲酒とはかくあるべき。

 

3/6 晴れ

生前に「ポイントカードないです」って言いすぎたばっかりに死後地獄で舌を抜かれる人。

 

3/7 月

Tips: 地下鉄仙台駅は仙台市より広い。

 

3/8 晴れ

社内の健康管理の資料に

「青年(~25歳)、壮年・中年(26歳~)」

と記載があり、僕はもういよいよ"壮年"なのだと知らされた。青年である自覚すらあんまりなかったのに酷いや。

 

3/10 酒

歓迎会を開いて頂いた。お店を用意していただいておいて愚痴ることもないのだろうがコースの料理がまるで提供されず、突出しが出てくるまでに実に30分も要した。

その間僕は「空きっ腹に酒を入れて悪酔いしてしまっては大切なみんなからの第一印象がわるくなってしまう」と思いどうにか飲酒を抑え、そうして漸く並べられた天麩羅が皿の中央に小ぢんまりと置かれるのを見て辟易した。「こんなことなら来る前にパンの一つでも食べてくればよかった」と思ってから、学生時代に居酒屋でアルバイトをしていた頃には美味しそうな肴を目前に並べられながら賄いが市販のパンであることに愚痴を垂れていたのを思い出した。

今は美味しそうな肴を目前に市販のパンのことを思い浮かべているのだから皮肉なものだと嘲笑する。そんなふうに薄ら笑いをひとり浮かべる僕をみんな気持ち悪がった。僕はこの先この職場でうまくやっていけるのだろうか。

 

ぜんぜん一行じゃなくなったのでここでおしまいです。

プーハット

飛行機に乗った。

搭乗案内は混雑を避けるために後方の窓際→後方の全席→全席の順に呼び出しがされていた。

僕の座席は前方だったため、搭乗が始まっても暫くは動かずにじっとしていた。

 

後方組があらかた乗り込んだ辺りで、僕と同じように動かなかった人たちが案内をまたずに立ち上がって並びだす。

少し遅れて全席の搭乗を案内するアナウンスがされ、僕も行列の後ろにつく。

僕と同じように残りの乗客が列に並ぶ中、何人かの人たちは未だに並ばずロビーの椅子に座ったままでいた。

 

なんとなく、この飛行機の前方の席に座る人々の中で、アナウンスに従って少し遅れて行列についた僕たちが一番"弱い"ような気がした。

ハンターハンターにこんな話あったなとも思った。