備忘録2019

 

今年はやらないって言ったけど。

おとなはウソつきではないのです。まちがいをするだけなのです……。

 

1. Wrapped Up In A Blanket / Radddjur  (2017)


RADDDJUR - 渚の(Official Music Video)

多分ちょうど1年前くらいにどこかで話題に上げてたとは思うのだけれど、ちゃんと1年中ハマってました。ロッドユールと読むらしいです、今日はこれだけ覚えて帰ってください。

ローファイは好きだけど得意じゃないのかハマるって程までいかないのが殆どですが、これはほんとうに好きです。青臭くて荒削りで、THE・インディーロックという感じです。いっぺん生で見たいので札幌来てくれ。あと全国流通盤出してくれ。

僕は⑥"Honest Ghost"が好きです。この曲に限った話ではないのだけれどボーカルの朴訥というか少年っぽさの残る声が良いよね。

 

2. Boys Loved Her / No Buses (2019)


No Buses - Ill Humor (Official Video)

一昨年くらいから識者の方々が手放しで絶賛していたので僕もサブスクのプレイリストに入れるだけ入れて積極的に聴いてはいなかったんですけどシャッフル再生で耳触りの良いイントロが流れて曲名を確認すると大抵こいつらだったので泣く泣くハマりました。

そんな中、去年の秋に出た待望のフルアルバムがこれ。11曲30分というお手軽感の時点でもうヘビロテの常連確定だったんですけどアルバムとしての流れも非常にスマートで(Little Boy→Ratの流れ最高ですよね)、個人的には2019年の新譜で文句なしのナンバーワンです。

僕は⑩"When You Sleep With Your Son"が好きです。ふざけたリフしやがって。

 

 3. 悪夢へようこそ! / ギリシャラブ  (2019)


ギリシャラブ「ブエノスアイレス」

ノーバシーズが文句なしのナンバーワンと言ったけど、これもナンバー1.3くらいには名盤でした。

前作以上にポップな楽曲が揃う中、リードトラックの②"ブエノスアイレス"は湿度高めの純文学的な世界観を醸し出して、表題曲の④"悪夢へようこそ"は古めかしいハードロックのようなギターリフの中毒性が高く、アルバムを通すと奇怪な印象の方が強い妙です。

きっとこれ以上ポップに寄ってもいけないしこれ以上癖が勝ってもいけないような、そんな絶妙なバランスで成り立っている一枚だと思います。

僕は③"薔薇の洪水"が好きです。今年の新譜でいちばん聴いた曲でした。

 

4. NO MARBLE / ArtTheaterGuild (2019)


ArtTheaterGuild / 鉄紺と黄緑

前作"HAUGA"が出たときに「ポストピロウズ感がありつつも徐々にATG特有の味みたいなのが濃くなってきてるのがたまらん」的なことを書いたんですけど、今作はそれが特に顕著で、①"Marbles"なんかはピロウズとは一線を画していて彼らの新しい道を見出したようなそんな印象を受けます。

毎度のことですがたった6曲ながらバラエティに富んでいて、聴いても聴いても味がするので飽きないです。

僕は②"Birthday"が好きです。⑤"Peg-Leg Pistol"もそうだけどヘロヘロオルタナ節全開でたまらんです。

  

5. The Age of Plastic / The Buggles (1980)


The Buggles - Video Killed The Radio Star

今回の洋楽枠です。「ラジオスターの悲劇」は有名なので皆さんもご存知かもしれないですが、逆に言うとこの曲の一発屋的な印象が拭い去れないバンドでもありますよね。かくいう僕もこの曲しか知らなかったんですけどサブスクにあったのでアルバム通して聴いたらかなりツボでした。

アルバム曲は「ラジオスター」のイメージに反してジンギスカンみたいな小気味よい曲調のものが多くて今の時代に聴くと古くてダサいんですけど、古くてダサいもの大好きなのでとても良かったです。

僕は⑥Elstreeが好きです。「ラジオスター」に負けじとも劣らずな哀愁漂うメロディーと後ろ向きな歌詞が泣けます。

 

 

アペンド.その他それなりに聴いていたもの

・aurora arc / BUMP OF CHICKEN (2019)

なんだかんだまだまだ聴けてしまうんだよな。結構な回数聴いてるつもりなんだけど未だに曲と名前が一致しません。月並みですが「話がしたいよ」「新世界」あたりが好きです。

 

・沈百景 / YAJICO GIRL (2017)

Apple Musicに勧められて"いえろう"という曲を聴いて「あーこれ絶対好きなやつだ」ってなったバンドです。青臭くてわかりやすいオルタナの感じが良いです。去年には満を持して1stフルアルバムも出していたのだけれどなんだか別物の音楽になっていて悲しい。

 

・愛の休日 / 柴田聡子 (2017)

なんで?もう自分の好みがわかんないです。札幌住んでるから?

 

・The Electricity In Your House Wants to Sing / i am robot and proud (2006)

歌詞のある曲に飽和したときはたいていこれを聴いてました。穏やかな曲調の電子音楽のインストで、通勤のBGM代わりに最適です。ジャケのペンギンもかわいい。

 

 

今年はこのくらいです。おやすみ。

遅ればせていけ

 

とにかく 俺は 気づいたら 2020だった!

 

さて、すっかり時間ばっかり早く過ぎていくものだからめっきりご無沙汰していました。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。2019年は良い年でしたか、2020年の抱負とかちゃんと持ちましたか。俺はもうなくしました。連休入る前にはあったような気がする。

 

取分け言いたいこともないのだけれど近況報告がてら五月雨で書いていきます。

 

 ○音楽の話

年末年始にはその年の新譜を振り返ったりみたいなことをいつもしていたのだけれど、今年はなんだか特定の旧譜ばっかり聴いていたような気がして語れることがなんにもありません。

予てより追っかけているバンドの新譜はどれも良かったけど「こいつまたアートシアターギルドの話してるよ」的な内容ばかりになるだろうし今更この場で語るべくこともそんなにないのでやめます!今年はno busesの優勝!おしまい!

 

○どうした2019年

 思い返すと去年はかなり地理的に忙しない1年だったなぁと思うわけで、山形で3ヶ月、東京で4ヶ月、北海道で5ヶ月暮らしてました。わかりやすいように直角三角形で表すとこう。

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そうやって考えると結構密な1年だったのではとも思うのだけれど、後半5ヶ月がスッカスカ過ぎて結果的にしょっぱい印象が残っている感が否めないです。チョココロネみたいな1年でした。

 

○どうする2020年

2020年はどうするんだ俺。去年の今頃に薄ぼんやりとさせていた色々な物事の輪郭が徐々にハッキリしだして、ひどく怯えてみたり目をそらしてみたりする毎日です。4つ上の従兄弟は「去年はあっという間に過ぎた」と言っていたし、10いくつ上の上司は「30代があっという間に過ぎた」と仰っていました。そんな感じで俺の2020年もピャッという間に過ぎてしまうんでしょうか。

1月も既に折返しを迎えようとしています。「これをあと24回繰り返したら1年が終わってしまう……」みたいなこと小中学生くらいの頃よく考えませんでした?

このまま徒に1年を消費したくはないので今年はチョココロネを尻尾から食べるようにします。

 

○大人になったら

そういや成人式なんてものもありました。新成人の皆さまおめでとうございます。

同窓会で昔ちょっとだけ仲の良かったあの子とやけに話が弾んだり、成人式で撮った写真を送ってくれたあの子とのLINEがやけに長く続いたりみたいなことはありましたか。ワンチャン狙っていきましょうね。

僕はもう成人式も同窓会も何も思い出せないです。もう3年も昔のことらしい。ちょうどその年の夏にiPhoneを水没させたので写真すら残っていません。ひょっとするとまだ成人していないのかも。バブー!

 

 

そんな感じでした。今年もよろしくね。

そういや北海道にいる

 

そういや北海道にいます。

 

はたしていつまで経っても大人になれる気がまったくしないまま、いつの間にか配属されてしまいました。研修の最終日に同期が餞別としてくれた色紙と手紙とワンカートンのタバコ(あとなぜかハイエイタスのアルバム)を食いつぶして生きています。タバコはちょうどこの間なくなったのでひょっとしたら禁煙するいいタイミングなのでは、と思って買い足しを渋っているところです。

とにもかくにも社会不適合を実感する毎日、無頼伝 涯みたいな気持ちでデスクに向かっています。

 

 

そして何より生活が下手くそになってしまった。一人暮らし5年目なのに何で?いろいろな手続きを後回し後回しにして生きています。東京にいる間に運転免許は失効しました。あれ一回切れると平日の午前中じゃないと更新できないらしいのでなんかもう無理です。

 

新居もそれなり良いところにしたんですよ。札幌は家賃が安いので。

大学時代の部屋が物だらけて散らかり放題だったこともあり、新居は極力物増やさないようにマットレス以外買わずに引っ越してみたんです。あとは必要に応じて買い足していこうと思って。この1ヶ月で冷蔵庫、洗濯機、ベッドフレームなどの必需品は揃ってきましたが、未だに不織布の収納ケースをテーブル代わりにして飯食ってます。

 

ちなみに洗濯機は蛇口とホースの形が合わないと言われ設置して貰えず、辛うじて自力で取り付けたものの、半月くらい使ったあたりで警告音をわめかせながら水を撒き散らして死にました。今は汚くて壁の薄い昔の部屋がただただ恋しいです。

 

 

あと、そういえばなんですけど新居の電灯のスイッチの中に一つだけ、押してもなんの反応もしないやつがあるんですよね。ときたま間違って押してしまうのだけれど、俺のつゆ知らぬ所で何かが起こってたりするんでしょうか。面白い回答募集してます。

 

 

そんな感じで、生存報告でした。

 

そらをとぶ

 

6月某日。東京の暮らしにもすっかり慣れてしまったが、いつまでも終わる気配を見せない梅雨のじめついた空気にはどうしても慣れない。今日も今日とて降り続ける雨は俺の記憶が正しければもう5日以上その記録を伸ばし続けている。やまない雨はないと昔誰かが言ったらしいが多分あれは嘘だ。

癖毛と偏頭痛に嫌気がさしても、出社時刻は刻々と迫ってくる。雨が降ったらお休みなんて横暴がまかり通るのは南の島の王子様だけなので、観念して身支度を整え、家を出た。

 

通勤途中、道路脇の花壇に咲いていた草になぜか目を惹かれた。桃の実のように鮮やかなピンク色をした球根から、ギザギザした細長い葉が生えている。こんなおかしな草、いままで生えていただろうか。

 

近寄ってその球根に触れてみる。意外と柔らかく、弾力があった。葉っぱの方にも触れてみようと手を伸ばした刹那、突風が吹いて球根がふわりと宙に浮いた。さっきまで周りの雑草に遮られてよく見えなかったその姿が露わになる。桃色の球根からは猫のような耳が生えており、真ん中には琥珀色の小さな目玉がふたつ――

 

ハネッコだった。

 

お題箱

「1番好きなポケモンで小噺をひとつ」

 

ハネッコはそのまま突風に拐われるように流されると、反対車線の側の歩道へと飛んでいった。車道を走るトラックがその姿をほんの数秒隠すと、ハネッコはどこかへと消えてしまった。写真の一枚でも撮っておけばよかったとひどく後悔する。

 

しかしなぜあんなところに?業務中にも度々、あのハネッコのことが頭をよぎる。休憩時間にスマートフォンで調べてみると、ポケモン図鑑を取り扱っているサイトが見つかった。

図鑑のハネッコの頁にはこう書かれている。

 

そよかぜが ふいただけで ふわふわ うかんでしまい となりまち まで はこばれる。

 

推測は容易だった。今朝の突風で反対車線まで飛ばされたように、ハネッコはいくつもの風に運ばれてこの街まで来たのだろう。どこから来たのかは皆目検討もつかないが。

いずれにしろ、今日はずいぶんと風が強い。今日の風はまたあのハネッコを、どこか知らない街まで運んで行くのだろう。四葉を見つけたときのような些細な幸福感を胸に、また会えたらと密かに思った。

 

翌朝の通勤路、ハネッコはいた。普通にいた。昨日と同じ花壇に埋まっていた。

どういうわけか、風の気まぐれか、またここに帰ってきたらしい。俺が近寄ってひと撫でするとハネッコはその琥珀色の目を細めてニッコリと笑い、また風に運ばれるように飛んでいった。

 

次の日も、また次の日も、ハネッコはその花壇にいた。この場所が気に入ったのだろうか。何度となく、どこへともなく吹き飛ばされても、ハネッコはそこに戻ってきた。俺も通勤途中に花壇のそばに立ち寄ってハネッコを撫でてやることが毎朝の日課になっていた。

 

そんな日がひと月ほど続いたある日の早朝、テレビの向こうのニュースキャスターが言った。

「昨夜より列島に接近していた台風X号は、急速に勢いを増して上陸する見込みです。関東および東海に、大雨や強風のおそれがあります」

危機感が浅く、余程大きなものでもなければ普段は台風のニュースですら然程気にも留めないのだが、今回ばかりは別だ。俺は癖毛もそのままにして、大慌てで家を出た。

 

普段なら寝ぼけ眼で歯を磨いているような時間に、俺はずぶ濡れになりながら通勤路を駆け抜けた。いつもの花壇には案の定、あのハネッコがいた。

まだ台風も近くはないが、それでも普段よりずっとずっと強い風だ。ハネッコはその小さな前足で花壇の雑草にしがみついていたが、俺の姿を見ると前足を離し、風に押し出されるようにして俺に飛びついてきた。

安堵するのも束の間、すれ違うサラリーマンの折りたたみ傘までもが強風に飛ばされて、俺の顔面を強打した。その衝撃で俺は手を放してしまった。

 

俺の手を離れたハネッコはそのままはるか上空へと連れ去られるように飛んでいってしまう。必死に追いかけたが、風船のように流されるハネッコはどんどん遠ざかっていき、やがてその姿を見失った。

 

昼には台風はその軌道を反らし、大きな被害がこの街に及ぶことはなかった。だが、ハネッコは翌朝になっても、週末をまたいでも、いつもの花壇にその姿を現わすことはなかった。

 

やがて夏が来て、秋が過ぎる。雪が降りだすといつもの花壇からは雑草すらも姿を消した。もちろんあのハネッコは見る影もない。あの日の台風はハネッコをどこまで連れて行ったのだろう。今ごろハネッコはどの辺りを漂っているのだろう。毎朝花壇の横を通り過ぎるたびに、そんなことを思った。

 

 

 

この街に来てから一年が経った。通勤中の景色は既に見飽きて、社会にだってようやく少し慣れてきたような気がする。寝ぼけ眼で歯を磨き、身支度をして家を出るとあたたかい陽射しが降り注いでいた。いつもの花壇は、いつの間にやら名前も知らない色とりどりの花で埋め尽くされている。その中のひとつ、白い綿毛を咲かせた青色の球根がこちらを見ていた。

 

来世の配属希望

 

「来世何になりたい?」

休憩時間、向かいに座っている同期が突然こんな話を振ってきた。

彼女いわく来世は水族館のアシカに生まれ変わってイケメンの飼育員に可愛がられるのが最善らしい。やさしい僕は「倍率高そうだから今のうちに徳積んどきなよ」とアドバイスをしてやった。

 

しかしこれもまた彼女が言ったことだが、個体数でいえば世界に溢れる命の多くを占めるのは虫の類いらしい。すなわち、うかうかしていると来世は少なからぬ確率で虫になるのだ。気になって調べてみるとアリ科だけでもその個体数の単位は100京にものぼるとか。少なめに見積もっても人に生まれ変わるよりアリに生まれ変わる確率の方が1億倍は高いというわけだ。困る。

 

であればさっさとこの人生に見切りをつけて、ウサギとして生を受けた頃のブッタのように聖者に命を差し出しでもすれば、負け続きの人生でも転生競争くらいには勝てるかもしれない。

 

さて、それじゃあ転生するなら何がいいだろう。個人的な希望を書き出していくのでみなさんも転生する際の参考にしてください。

 

 

①ペット類

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人間に不向きであることを実感している人であれば一度は、動物園のパンダに憧れたことがあるのではないだろうか。先述のアシカもこれにあたるだろう。彼らを代表とするような「飼育される生き物」というのは社会に適応する必要もなければ、野生の厳しさも知らずに生きられる。その可愛さのみを理由にして、ただ生きているだけで絶大な価値を持つ、オタサーの姫の最終形のような存在だ。憧れる。

 

では倍率はどのくらいのものだろう。飼われる生物の筆頭、犬と猫について考えてみる。日本で飼われている猫の数はおよそ1000万匹弱くらいらしく、犬はそれよりもすこし少ない。犬猫以外にも掃いて捨てるほどの種類の生き物が人様に飼われているが、ペットの二大巨塔ともいえる犬と猫を足しても2000万匹に届かない。それらの有象無象を足して、さらに話を世界まで広げてもせいぜい人間の1/10くらいなんじゃないだろうか、狭き門である。

 

②人間

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「やっぱり人間っしょ。」

そう言いたくなる方たちの気持ちも痛いほどわかる。下手な野生児よりも人間に不向きな僕ですら、(サブ)カルチャーに触れ、人と話すたびに人間として生きる悦びを多少なりとも感じている。猫になりたいと思うことこそあれど、猫になったら最後ハンターハンターの続きを永劫知ることができないと思うと考えを改めざるを得ない。 

 

倍率は先述の通り、蟻になる1億分の1の確率だ。その中でも恵まれた環境に生まれ、ヒトであることに満足できる人間になれる確率まで考えると、①の飼われる生き物と大差ないのかもしれない。来世も人間になれたとして、またこんなサブヒューマンに育ってしまおうものなら蟻に生まれ変わったほうがまだマシだ。

 

③海洋生物

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現世を人間として生きているゆえ、陸棲生物の世界なんて高が知れた気でいる。自由気ままに飼われる猫になろうと、檻の中でくつろぐパンダになろうと、その視界の景色は想像がつく。

 

だが海の世界は想像にすら容易くない。未知は神秘である。深海魚の世界なんてなんとも面白そうじゃないか。あるいはサメやシャチなどに生まれ変わろうものなら、なろう系も面食らうほどの転生無双ライフを送れる(勿論雑魚に生まれてしまえば目も当てられないが)。

 

種族差が激しく、生存競争も厳しいだろうが、現世と180°違う世界に生きるというのもやはり憧れる。

 

倍率はというと、海洋生物の割合はなんと陸上の生物のたった1/80らしい。思っていたよりエリートコースのようだ。しかし陸上の生物の8割強は虫とかいう底辺であるため、まともな陸上生物になるよりかは海洋生物の方が確率が高そうなので狙い目です。

 

④植物

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カウントするべきか迷ったが、彼らだって立派な生き物だ。動物の、しかも人間に生まれた以上、何も考えずに生きる植物の生活というのも些か想像し難い。とはいえ何も考えずに生きることができるというのも、それはそれで魅力的だ。人間は余計なことばかり考えるので。

 

問題はその倍率である。某所の研究によると、世界中の生物における動物の割合はたったの0.5%らしく、対する植物の割合はなんと80〜90%にものぼるとか。

 

はいここまでの話ぜんぶ台無し。人間の100億倍いるアリも含んだ全ての動物のさらに200倍ってこと?インフレし過ぎておもんないぞ。その研究間違っててくれ頼むから。ていうか目を背けてたけどアリの時点で相当インフレしてるんだよな。

 

虫までならまだ良かった。どうせ虫に生まれ変わってもすぐに死ぬから次の転生に移れるだろうし。でも植物って長生きするじゃん。木とかだと100年越え1000年越えとか割とあるでしょ?なったら終わりじゃん。

いやでもやっぱり樹齢長い系の木はそもそも準ブッタくらいまで徳積んでないとなれないのかな。雑草になって除草剤で即死くらいが関の山かもしれない。

とにかく、進路としては植物がどうにもメジャーなようなので、来世のライフプランを立てるのなら、草木としての生き方を考えておくべきなのかもしれない。

 

 

というわけで、来世について色々と考えてみたわけだけれど、今より希望のある生き物に転生するのは思っていたより随分と難しいらしい。

ヒトもアシカもネコもシャチも望み薄過ぎる。こんなんでも人間に生まれるって凄いことだったんですね。くだらないこと考えてないで真面目に生きよう。

 

以上です、また来世の記事でお会いしましょう。

幸先は悪め

 

山形最後の朝は、もう3月も終わるというのに嘘みたいな大雪に始まった。寝ぼけた眼に映る白々しい雪景色のせいで、実はまだ12月くらいなんじゃないかとすら思い込みたくなる。

家を出る頃には雪はすっかり雨に変わり、いよいよ今朝の景色は夢か幻の類だったのではないかとも思うが、路肩には確かに薄く雪が積もっている。大荷物で家を出たため手に傘を持つ余裕のなかった僕はびしょ濡れになったが、駅の目前まで辿り着いた途端にあっさり空は晴れた。

 

改札を抜けて新幹線に乗り込み自分の席を探すと、隣の席には既に誰かが座っている。「すいません」と声をかけてキャリーケースを棚の上へ持ち上げようとするとケースから雨粒がだらだらと零れ落ちた。「すいませんすいません」と呪文のように繰り返しながらケースを無理やり押し上げて腰を下ろしたが、乗車券をよく見ると席を間違っていたので「すいませんすいません」と呪文のように繰り返しながらキャリーケースを棚から下ろしてそそくさと席を移った。

 

2回の乗り換えを含む約3時間の長旅の末に、僕は新居のある品川区に降り立った。とはいえそこは街の外れで、駅を出るとすぐに車も通らないような商店街が広がっていた。それでも山形とは比べ物にならないほどに人と物で溢れかえっている景色になんだかいよいよ高揚感めいたものも沸いてくるが、就活生時代に東京を訪れた時ほどの目移りも最早しない。

 

土地勘がないので新居と逆方向に向かっていることに気がつかないまま10分ほど歩く。踵を返して駅まで戻ってそこから更に5分、キャリーケースがガラガラと地面を擦る音を疎ましく思い始めた頃にようやく新居へとたどり着いた。

玄関には既に引越しの荷物を届けに来た配達員がおり、意図せずして初対面の配達員とともに新居の扉を開く運びとなる。ちなみにこの際、エレベーターに一度挟まれた。

 

 

かくして扉の向こうに広がる景色に不安だとか期待なんかを抱く間もなく部屋に荷物が詰め込まれる。大切にしていたあれやこれがあっという間に新しい部屋に身を置いていくことに妙な安心感を得るが、それでも4年過ごした街から離れた孤独感は拭い去れない。

 

移動と荷解きによる疲労や、刺し違えても寝坊できないことへのプレッシャーもあったため、用が済むと直ぐにベッドに潜り込んだ。外ではバイクの騒音と救急車のサイレンが鳴り響いていたが、案外よく眠れた。

 

 

そんなわけで今日から東京暮らしです。

短い間ですがよろしくお願いします。

一人称マージナルマン

 

小学校中学年から高学年くらいを境に多くの男児は一人称を「ボク」から「俺」に変える決断を密かに下しているわけだが、俺も御多分に漏れずいつの間にやらその変化を密に下していた。

とはいえ根っこがナードな人間であるため「俺」という一人称を十余年使いこなしている今でさえ、ふと冷静になったとき「俺」と言って自身を指すことに対して拭い去れない違和感が生じることもある。

 

 

そんなふうにして当時小学5年生だった「俺」が、使い始めて間もないこの一人称との不和に耐えかねて束の間だけ一人称に「私」を用いていたのをよく覚えている。自分で使っていて違和感こそなかった(むしろしっくりきた)ものの、クラスメイトから「女やないか」と見取り図・盛山ばりの強い指摘を受けていじめられかけたことを境に一人称を「俺」に戻した。

 

 

今ではすっかりこの不和にも慣れたものだが、しかしてこのような書き言葉の場合は勝手が異なり、「俺」という一人称が会話のそれより増して使いづらい。話し言葉ほど砕けていない分「俺」という一人称との不和がいっそう強まり、とはいえこの期に及んで「僕」も使いづらい。これは一人称の板挟みだ。

 

そのためこれまでの書きためたダイアリー達を遡って見てみると、その中の一人称には「俺」と「僕」が混在している。たまに読み返してみたら1つの記事で「俺」も「僕」も使っていて慌てて統一するということもままある。それこそ書き言葉なのだから「私」でいいじゃんとも思うが、書き言葉といえどたかがブログ、「私」は随分とかしこまり過ぎている気もする。

 

ダイバーシティがどうのという話がまことしやかに囁かれている時代だし、この辺で俺のような一人称マージナルマンのために「僕」と「俺」の中間に位置するような一人称ができればいいのにな。