一人称マージナルマン

 

小学校中学年から高学年くらいを境に多くの男児は一人称を「ボク」から「俺」に変える決断を密かに下しているわけだが、俺も御多分に漏れずいつの間にやらその変化を密に下していた。

とはいえ根っこがナードな人間であるため「俺」という一人称を十余年使いこなしている今でさえ、ふと冷静になったとき「俺」と言って自身を指すことに対して拭い去れない違和感が生じることもある。

 

 

そんなふうにして当時小学5年生だった「俺」が、使い始めて間もないこの一人称との不和に耐えかねて束の間だけ一人称に「私」を用いていたのをよく覚えている。自分で使っていて違和感こそなかった(むしろしっくりきた)ものの、クラスメイトから「女やないか」と見取り図・盛山ばりの強い指摘を受けていじめられかけたことを境に一人称を「俺」に戻した。

 

 

今ではすっかりこの不和にも慣れたものだが、しかしてこのような書き言葉の場合は勝手が異なり、「俺」という一人称が会話のそれより増して使いづらい。話し言葉ほど砕けていない分「俺」という一人称との不和がいっそう強まり、とはいえこの期に及んで「僕」も使いづらい。これは一人称の板挟みだ。

 

そのためこれまでの書きためたダイアリー達を遡って見てみると、その中の一人称には「俺」と「僕」が混在している。たまに読み返してみたら1つの記事で「俺」も「僕」も使っていて慌てて統一するということもままある。それこそ書き言葉なのだから「私」でいいじゃんとも思うが、書き言葉といえどたかがブログ、「私」は随分とかしこまり過ぎている気もする。

 

ダイバーシティがどうのという話がまことしやかに囁かれている時代だし、この辺で俺のような一人称マージナルマンのために「僕」と「俺」の中間に位置するような一人称ができればいいのにな。